山歩き

恵那山 2023/9/1(金)

 

7:18 飯田のホテルを出発

8:00 恵那山広河原登山口駐車場

8:07 準備して出発、先行車2台
8:08 本当の登山口は林道を30分歩いてからです
?地図上の山頂に行っていない?
累積標高1250m、沿面距離12km、所要時間6時間40分
8:10 本谷川に沿って歩く
8:10 砂防ダムがあります
8:14 昨日よりさらにいい天気
8:32 トンネルを抜けると登山口は近い
8:35 ここから登山道、小休止
キンミズヒキ
8:40 ここが広河原という所らしいです
本谷川の上流
8:56 恵那山には三つ登山道がありますが、広河原登山道が一番新しくて、一番距離が短いそうです 1合目
9:14 所々階段がありますが、傷んでいるのが多い
9:15 この登山道はほとんど視界がありません、なので標識を撮る (笑) 花の時期にはいっぱい花が咲くらしいです、新花の百名山にも選ばれているそうです 2合目
9:52 やっと休憩できるところに出ました
ここが4合目でした
10:04 空が見えだしたけど、笹が生い茂っていて歩きにくい
10:10 南アルプスが見えた、展望があるのはこの辺だけでした
10:12 5合目
10:15 笹路がまだ続く
これはオンタデかな~?
10:32 お!これはアサギマダラが好きなフジバカマでは?
10:32 天気は最高なんですけど・・・
10:43 7合目
11:08 8合目・・・たぶん、この辺でソロの男性が降りてきた
11:24 9合目、ここでご夫婦が降りてこられた
11:40 山頂到着!視界なし!
この上の上がっても木しか見えへんかった~
展望台の上から、周りはこれだけ木に囲まれてる、深田久弥さんが昇った頃は木が小さくて展望があったのかなあ~
11:52 山頂から先に行くと、避難小屋があった
立派なトイレもある、中は見てませんけど・・・帰ってから他の人の投稿を見ると、この先の岩場から展望があるそうですが、上がった人によると「ん~」だそうです
山頂に戻ってきて、一等三角点「恵那山」2190.28、地図上では避難小屋の先が2191になってる・・・そっちが山頂では?  下山開始
12:40 見晴らしのいい所でまたパチリ、ここが山頂だったらいいのに (笑)
12:54 あ、いました!アサギマダラ!
なかなかじっとしてくれません
別の場所にもいました、今年初アサギマダラ! 見るものがあってよかった (笑)
別の蝶もいました、クジャクチョウ? 蝶たちにしばらく遊んでもらう
14:16 蝶に遊んでもらった後はどんどこ降りて、広河原
14:47 駐車場に戻ってきました、結局今日出会ったのは3人だけでした

 

恵那峡の宿へ移動

16:10 ホテルの窓から恵那峡が見える、右の方に恵那山があるんですがこの部屋からは角度が悪くて見えない
9月2日5:11 朝焼けの恵那峡

 

今日は城見学をしながら高松に帰ります

8:31 岩村城
8:35 ここから岩村城に入ります、日本三大山城の一つ(備中松山城、大和高取城)
8:36 今日も歩きます
8:42 石畳が続く・・・
8:48 霧の井、敵が攻めてきた時にここに蛇骨を入れるとたちまち霧が湧いたので、霧ヶ城とも呼ばれるそうです
8:51 六段壁
8:53 本丸跡、明治の廃城令により城は取り壊された
遠山家には織田信長の叔母が嫁いできており、城主が死亡した後は幼い養子(織田信長の五男、御坊丸)に変わって実質的にこの地を「おんな城主」として治めていました。城主は聡明で領民に慕われていたそうです。1572年、そこへ武田信玄の24将の一人「秋山虎繁」が攻め込んできました。籠城して何とか信長が来るまで持ちこたえようとしましたが、当時信長は長島一揆の鎮圧に追われ救援に来れませんでした。秋山は城主に自分の嫁になるなら御坊丸の命は助けると伝え、おんな城主は泣く泣く従いました。その後平穏な時が過ぎていましたが1575年、近畿の平定がほぼ終わった織田信長の長男「織田信忠」が攻め入ってきました。信忠は信長の命により城主夫妻を処刑しました・・・。
織田信長宿営地

1582年、武田討伐の途にいた織田信長はここで武田勝頼の死を明智光秀などと聞いたそうです。そしてその80日後、信長は光秀により本能寺の変で斃れました・・・

兵どもが夢のあと・・・

14:15 場所は飛んで安土城、前回は「安土城跡」でナビに入れて来たら、山の反対側に案内され結局来れんかった (笑) 今回は「安土城跡駐車場」で入れたので無事に来れました (^^)/ さすが人気の織田信長、車が20~30台停まっていて入場料700円!岩村城はただ! 遠くから見たらなんでこんな小山にでかい城を築いたんだろうと思ってました。案内文を読んでみると、当時三方は琵琶湖の湖だったんですね、それなら納得できます。 (^^♪ 当時、信長は周りをほとんど平定していたので防御はあまり考えなかったんでしょうね。
ウキペディアより、ほぼ周りは湖と堀に囲まれてます
14:17 入場口からまっすぐ石段が続く、ふつうこういう階段はかぎ型にするんですが、これからも信長が攻められる城を意識していなかったのが分かりますね
14:19 羽柴秀吉邸跡
14:22 まだまだ続く階段
14:27 黒金門跡
14:28 仏足石、安土城の石には石仏なども使われており、これも発掘調査で出て来たもの
14:30 本丸跡、この上が・・・
14:31 天守閣が立っていた所、土台の石は残っていますね
石垣の上から見るとこんな感じ
天守閣予想図(京都新聞より)地上6階地下1階高さ33m、はっきりとは分かっていないようです、見てみたかったなあ~ (T_T) 光秀がいらん事せんでも家康が壊すか、明治維新で廃城されるか、戦争で燃えていたでしょうけど・・・築城からわずか3年で灰になるとは・・・
昔はこの下は琵琶湖だったんですね、信長はもっと高い所からこれを眺めていたんだ
14:37 二の丸跡、秀吉が一年後にここを信長の本廟とした
14:40 織田信雄四代供養塔、信長の次男信雄の家系だけが大名として明治維新まで続いたそうです
14:45 總見寺跡、信長がよそから移築して自分の菩提寺とした、安土城落城の時には焼け残りましたが、その後失火で焼失した
14:47 これも信長がどっからか持ってきた三重塔 (笑) これは当時のままだそうです
14:50 二王門、仁王門でなくて二王門なんですね
14:57 ぐる~っと回って、秀吉邸跡に帰ってきました
14:58 これも石仏だそうです
14:58 入場門を出る
信長は永楽通宝の意匠を織田家の旗印として用いていたそうです

 

15:01安土城跡→15:30竜王IC→15:36菩提寺PA→来た道を逆に走り→17:17淡路SA→18:54高松中央IC→19:09自宅

Greatest Operation Everの2本が中止、自分の予定が1本中止になりました(悪天候、定員割れ)

次の予定まで間が開くので、その間に何処か行けたらいいなあ~

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