
江戸時代以前に建てられた現存する12天守の一つ
柴田勝家の甥、織田信長の家臣、柴田勝豊によって築かれた(1576年)
1948年の福井地震で完全に倒壊したが、柱や梁の主要部分はそのまま利用して再建された
徳川家康の功臣で鬼作左の勇名をとどろかせた本多作左衛門重次が陣中から妻にあてた手紙
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
用件を簡潔明瞭に伝えた手紙の手本と言われています
「お仙」とは、後の丸岡藩主、本多成重のことで、幼名を仙千代といった







現存12天守、あと見ていないのは犬山城(愛知県)のみ